伝える力:もも よしじ

ブログは続くよどこまでも。

ということで「伝える力」という大変に難しいお題を頂きました。

「伝える力」に極めて乏しい私には所詮は無理なお題ですから思いつくままに適当に書いてみることにします。

 

吉野 弘という詩人の作品に「夕焼け」というのがあって結構好きな詩のひとつなのですが、優しい娘とやさしい「としより」と群衆の悪意が鮮やかな夕日のなかにしっかりとしたイメージとなって伝わってきて、人によって感じ方は違うのでしょうが私にはなかなか切ない情景に映ります。

夕焼け:吉野 弘

いつものことだが

電車は満員だった。

そして

いつものことだが

若者と娘が腰をおろし

としよりが立っていた。

うつむいていた娘が立って

としよりに席をゆずった。

そそくさととしよりが坐った。

礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。

娘は坐った。

別のとしよりが娘の前に

横あいから押されてきた。

娘はうつむいた。

しかし又立って席を

そのとしよりにゆずった。

としよりは次の駅で礼を言って降りた。

娘は坐った。

二度あることは と言う通り

別のとしよりが娘の前に

押し出された。

可哀想に。

娘はうつむいて

そして今度は席を立たなかった。

次の駅も

次の駅も

下唇をギュッと噛んで

身体をこわばらせて−−−。

僕は電車を降りた。

固くなってうつむいて

娘はどこまで行ったろう。

やさしい心の持主は

いつでもどこでも

われにもあらず受難者となる。

何故って

やさしい心の持主は

他人のつらさを自分のつらさのように

感じるから。

やさしい心に責められながら

娘はどこまでゆけるだろう。

下唇を噛んで

つらい気持ちで

美しい夕焼けも見ないで。


 

さて、「伝える力」と言えばあの池上彰さんの本をイメージされる方が多いと思います。
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私は読んだことがありませんしこれからも多分読まないと思いますので、本の内容については何も語れませんが、池上さんが時折テレビ番組でニュース解説をされているのを拝見して思うことを少し。。。

何故あの解説が分かり易いのか素人なりに考えてみるに、なるべく平易な言葉で順序良く一つの明確なイメージを抱かせるようにストーリー展開をしている。

つまり、解説というより演説に近いのではないか。

という感じ。

私は政治・経済に疎いのでその分野のことは分かりませんが、時折科学分野の解説をされる時によくそう思います。

世の中の大抵の物事には見る角度によりいろいろな解釈があったり、少なくとも注釈くらいは付けたくなるものばかりですが、それを付け加え始めると時間はかかりますし聞く側の描くイメージがどんどん濁ってしまうからだろうと思っています。


 

かつて「ワンフレーズポリティクス」というのがなかなか大きな成果を得たようで、歴代の政権からどこかの首長に至るまでいまだに愛用しています。
Junichiro_Koizumi_(cropped)_during_arrival_ceremony_on_South_Lawn_of_White_House 元内閣総理大臣 小泉純一郎

人は長い言葉を覚えるのは苦手ですが、短い強い言葉は鮮やかなイメージを喚起しますから記憶に残りますし、繰り返される度に知らず知らずのうちに固定されていきます。

多分、現代のマスメディアでもっとも多用されている「伝える力」ではないでしょうか。


 

ゴリラは通常1頭のオスと複数のメスと子供で構成された群れで暮らしています。
ハーレム型の群れですから人間と違ってオトナオスの気遣いは細やかで、メスにも子供にも万遍なく声を掛けてコミュニケーションを図っているそうです。
そんなオトナオスが時々使うコミュニケーションに「見つめる」というのがあるそうです。
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出典先:TOMORROW IS LIVED
あるゴリラの研究者によるとオトナオスと見つめ合うと、まるで瞳の中に吸い込まれてしまいそうで言葉なんか超越した「伝える力」があるのだそうです。

 


 

かつて東北人は一日に二言か三言で互いにコミュニケーションを図ることができていた、と漫才だったか落語だったかのネタにありました。

詩人型の「伝える力」がコピーライター型の「伝える力」に取って代わられた現代、「伝える力」の技術進歩とともに私たちは「受け取る力」を失っていくように思えてなりません。

 

2015年7月9日
地図制作部
もも よしじ
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