未来を見つめる瞳:クイックMASAMI

去年10月頃に生まれました友達の赤ちゃんについてお話ししたいと思います。

最初に思ったのは同い年なのに子供がいるなんてすごいなという事です。
決して裕福という訳ではないですが色々切り盛りしてうまい事生活しています。まさに子供のために働いていると言っても過言ではありませんが、やはりそれだけの価値があるのでしょう。僕はその赤ちゃんを見た時、とてももろく感じました。下手に触るとどうにかなってしまうのではないかと心配になります。首が据わっていない時はさすがに怖くて抱っこしませんでしたが、据わってしまえばかわいいものです。しょうもない事で笑ったり、お腹がすいて泣いたりなんと愛嬌のある生き物でしょうか。一つだけ嫌なのは寝顔が友達にそっくりだということです。
不細工だとかそう言う事ではなくて、なんとなく同じ顔が二つ並んでいると気持ち悪いです。でもやはり可愛いのは可愛い訳でして、髪の毛なんかもサラサラでほっぺたもプニプニしてまして何とも言えない可愛さです。まぁ夫婦からしたら可愛いだけではないでしょうね。夜泣きはするし、オシメは変えないと駄目だし、怪我や病気にハラハラするでしょうし。そんな事もあるから余計に大事に思うものなのでしょう。
その旦那、もとい友達の変わりようも面白いと思いながら見ているのですが、赤ちゃんに話しかける時は基本的に赤ちゃん言葉だったり、とても過保護だったり、その赤ちゃんは女の子なのですが彼氏をつれてきた時の追い返し方を入念にシュミレーションして見たり、みんなこんな感じになるものなのでしょうか?
これだけ変わったのもきっと赤ちゃんの力なのでしょう。
赤ちゃんにふれあう機会が多くなって思う事は、ありがちですが、誰も彼もみんな最初は可愛かったんだろうなと言う事です。テレビで芸人などの子供時代とか写真を出したりしていますが、やっぱりかわいらしく思います。しかし育った姿がバナナマン日村だったりする訳ですからとても残念な気持ちになります。その辺を歩いているおじさんやおばさん、暴走中の若者などを見ると赤ちゃんの時はきっと可愛かったんだろうなとふと思ったりも。あの赤ちゃんはどんな風に育って行くのだろうと考えるととても気になります。

今は自分の子供ではない訳ですから気になる程度ですが、もし自分に子供がいたらやはり心配になったりするのでしょうね。自分の子供なんて現段階ではとても考えられないですがどんな気持ちになるものなのでしょうか?可愛くて仕方ないのか、煩わしく思うのか?やはり人によっては感じ方も変わってくるものだと思います。自分に似てると言われると嬉しく思うものなのでしょうか?自分の子供だなと思うかもしれませんが自分に似ている人が目の前にいる訳ですから変な心境にならないものなのか?何にしても今は子供は可愛いと思っていますがきっとそれだけではやっていけないのが子育てなのでしょう。大変な事も色々あるでしょうし、ただ甘やかすだけでは駄目なのでしょう。
とりあえず今は友達夫婦を観察しながら子供の成長を楽しみながら見守りたいと思っています。

「赤ん坊の 小さなお手ても 今のうち」