不惑こそモラルの牽引者たるべし

スポーツの秋、、、、彼方此方で運動会などのスポーツイベントが有る。
可愛いボクちゃんお譲ちゃんが、先生に教わったお遊戯を披露したり懸命に走る
姿は、時代が変わっても微笑ましくも有り、心温まる風景。
ところがその微笑ましい風景を台無しにしてしまったのは事もあろうか立派な大人だ。

会社周辺の美化を始めて半年が過ぎた事を少し前の記事でも書いた。

運動会が行われていたその日、いつもの美化活動を終える頃、幼稚園周辺
にタバコを吸いに出て来た父親数人へ疑念の視線を向ける。
年の頃なら30代後半から40代前半辺りか。

あのぅ〜今、火をつけようとしているそのタバコ、どこに捨てるんですか?

当然、携帯吸い殻入れはお持ちなんですよね?

昼休み、昼食を買い求めに近くのコンビニへ出かける時、幼稚園横の道を行く。

イヤ〜な予感は的中。

朝はゴミ一つ無かった歩道に散乱したタバコの吸い殻が遠目からでも確認できた。。。

濁りの無い瞳を持った子供たち、未来の子供たちに恥ずかしい思いでいっぱいだ。

大人たちが捨てたタバコの吸い殻ジュウタンの上を、子供たちが幼稚園へ通うために歩く。

この子たちに恰好がつかない、この思いも美化を始めたことの一つだった。

一方では私立の幼稚園へ通わせる教育熱心な親、一方ではタバコの吸い殻を
タメライも無くポイ捨てする親。

不惑故に惑わず捨てたのか。。。

いや、過ちと知っての愚行であろう。

孔子は論語の中で次の言葉を残している。

「過ちて改めざるを、これ過ちという」
人はだれでも過ちを犯すが、過ちを犯したことに気づきながらもそれを改めようとしない、
これこそが本当の過ちである。

市の条例に「路上喫煙禁止条例・歩きたばこ禁止条例」は設置されていないが

果たして設定されていたとして、今回の愚行は抑止できるのだろうか。。。

モラルと罰則は表裏一体と考えねばならぬなら、それ自体が哀しい事である。

たばこ税の増税を検討しているらしいが、徴収した財源の使い道が気になるところ。

排除のための増税ではなく、喫煙者・禁煙車共存のための環境改善のためにも使って

欲しいと考える。 これは今回のモラル問題とは別である。

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